「あなたなんか」と「きみのこと」
あなたのことが好き。
誰々のことが好きだ。
といういい方は、いまではふつう、誰もが無意識に口にすることばになっているかもしれない。
しかし、そうなると、つまり、無反省に使われるようになってみると、本来、この「こと」は、不要なことば、意味ないことば、というところが気になってくる。
むしろ、きみが好きだよ、あなたが好き、とそのままいってしまったほうが、はるかにすっきりと潔い。
「こと」が入ったほうがちょっとダイレクトじゃなくなり、いいやすくなるから、たしかに恋心の「告白」などには使いやすいのかもしれない。
...ついでながら、恋心の「告白」というのは、日本の、それもわりと最近生まれた「風習」で、誰かを好きになったらまずその感情を「告白」し了承を得なければ「付き合う」ことにならない、というこの「手順」は、管見によれば、フランスにもアメリカにも存在しない。
話がどんどんそれるので、この話はまた別立てにしたほうがいいかもしれないが、まぁ、そういうことを考えてるとハードルが高くなり、またニュースレターが書けなくなってしまうので(笑)このまま緩く行ってしまうが、
そういうと、「えー、そんなことないよ、廊下に呼び出されて、僕のことどう思ってるの(←ほら、こういう時に「こと」はぴったり・笑)とかいうのはありがちだよ」と帰国子女の子(アメリカ)からは指摘も受けたが、少なくとも〝大人の社会〟では、フランスにもアメリカにも存在しない「慣習」のように思う。
フランス人もアメリカ人も、好きになったらまず相手を褒め、気持ちをいうとすれば、それは“like”で
(フランス語だと « aimer » に量の多さや程度をあらわす « beaucoup » とか « bien » をつけると、以前こちらのメールから作ったMediumポストの結論部分に書いたように、逆に「好き」の程度が弱まって)
誰にでも楽に、軽い気持ちでいえる「好き」になる。
お互いさらにいい感じになれば、キスしたり、セクシャルな関係も試した上で、これはいけるかな...となったら、それからソリッドなカップルになる。
“love”ということばが出てくるのはこのあたりからで、“love”や « aimer » は家族間で使うことばのほうがむしろ基本。家族的、準家族的な、強い関係性が生まれた時に、初めていえることばだろう。
以前facebookページにも書いたが、たとえば親が子どもに、または、兄弟姉妹間で「愛してるよ」と(たとえば)毎朝いい合えるようになるまでは、日本語の「愛してる」は“love”や « aimer » と等価にはなりえない。
話をやや戻すと(笑)ネット時代の現在の日本では、誰かを好きになったら「好きです」と「告白」しなければならないというこの謎の「風習」は、あたかも「常識」ですらあるかのように、もはや既成事実化されている。
今の大学生なんか、院生含め、80年代はもちろん、90年代のことも当然知らないので、2000年前後から後に起こったことでも「有史以来の歴史的事実」と考えてしまうみたいだが(笑)
しかし決してそれは昔からの「常識」などではなく、おそらくは80年代末から90年代前半ごろに漫才師?がやっていたTVの集団お見合い番組に端を発しているのではないだろうか。
あの人たちは、子どものマネをして、幼稚なことをして人を笑わせる、ということをやって受けた人たちなので、もちろん意図的ではなく、単にそれが得意だったのだろうが、日本人を一段と幼稚化し、程度を下げることに少なからず貢献したように思う。
『シティポップ短篇集』の解説には、片岡義男さんが以前ジェリー・ルイスの批判をしていた記憶がある、と書いたが、片岡さんが書いていたのは要するにこのことで、つまり、