パトリック・モディアノと8月15日
ヴォランティアと戦争、経験しない記憶を語ること。見えない話法と、訳せない時間。
平中悠一
2026.08.14
読者限定
再びの地震で、もし神戸に10年後、同程度の地震が起こっていたらどうだっただろう、と想像すると、それだけでもことばを失います。
同じ異常気象といっても、僕が子どもの頃は、夏の気温が27℃などと、むしろ冷夏のほうが問題で、安部公房をたくさん読んでいたのもあって「氷河期が来るのかも...」と心配していたくらいですが、
それが今では体温以上の暑さです。普通に生活していても危険といわれるこの猛暑での片づけ、復旧は、本当に過酷で命がけだと思います。
そんななか、ヴォランティアで参加する人たちには、やはり頭が下がります。
災害が起こると、ヴォランティアで駆けつける人たちがいるというのは近年に生まれたとても前向きな、肯定的な状況だと思います。
それが戦後81年目の夏と重なると、その献身や、優れた自己犠牲が、しかし、そのまま戦争にもつながるのではないか、という恐れを抱くのは、あるいは僕一人ではないでしょう。