フェデリコ、語る——W杯とファシズムのダンス
文学の場合もそうですが、作者がどんな人だったかには、まったく興味がありません(笑)でも、好きな芸術家の伝記を読むと、必ず面白い発見があります。
今回ぜんぜん別件で、ふと思いたってフェリーニのインタヴューを読んでみると、いきなりこういうことばに目を引かれました。
イタリアのような国で、サッカーの試合を一度も見たことがないというと、人気を失いかねないのは分かっている。だが事実だからしかたがない。私はスポーツに興味を持ったことがない。[...]
競争、競技、試合、挑戦、競いあい、こうしたものには無関心どころか、敵意さえ感じる。もちろん私が心の底では敗者に共感を感じているからで、あるものが他人と、どちらがより強いか、より敏捷か、より勇気があるか、より美しいか競いあう状態には、いつも違和感と反感を覚え、拒否反応を示してきた。
フェリーニを最初に観たのは高校生の時で、定期考査の試験中でした。
試験期間が週末をまたぎ、試験も2、3科目とかだっただろうから、ちょっとまだ早いお昼間に帰ろうとしていたら、たまたま映画館に「甘い生活」がかかっていたんですね。
当時僕はまだ若く、将来に希望があり(笑)やっぱりこういう有名な作品は見ていないと、人間世界のことはわからないかなぁ。。という、あとでもない知的好奇心がまだありましたから(笑)ふらふらっと、その劇場に入ったわけです。
試験中でしたが、週末があるし、そこでまたちょっと試験勉強ならできるしな...くらいのつもりでした。
ところが実際は、その後まったく勉強が手につかず(笑)週末は、机には向かっていたのですが、ずーっと夢想のなかにいました。フェリーニの魔術がすごいのか、自分の試験勉強への意欲のなさがすごいのか、そこははっきりしないのですが;)
その後、若い頃、フェリーニは深夜のTVの映画放送や(!)さらに貸ヴィデオ屋などで見かけるたびに、できるだけ観ておこう、と思う映画監督の一人になりました。
...ほかにはヒッチコックとかワイルダー、ゴダール、アルトマン、まぁ、このあたりは普通ですが、ルイ・マル、ポランスキー、あとリドリー・スコットも『Someone Watch Over Me』を見てからは、できるだけ観ることにしていました。...剣闘士物などからあとは観ていませんが(笑)でも、The Good Wifeはパリでフランス語吹き替えで見ていました;)
フェリーニについては、たとえば『アマルコルド』の最後の風が吹き抜けて、ニーノ・ロータがかかる場面ですね。ああいう結末の小説を書けたら、ほんとにいいだろうなぁ、といまでも思うし、『そして船は行く』の、最後にスタジオのセットにばーっと引いちゃうところですね。ヴェルディがかかって。
フェリーニはマッチョだから嫌い、という人もいるかもしれないけど(笑)僕がフェリーニを好きなのは、演劇的なところ。からくり眼鏡を覗くようなところ、といえばいいでしょうか。
...みんなヴィデオで録画していましたが、今はヴィデオデッキ自体がありません(笑)
思えばほんとにいい時代でした。子どもの頃、街の本屋は、小さな図書館みたいだったし、世界の知識が集まっているように見えました。
同じように、貸ヴィデオ屋も、大きなところに行けば、ちゃんとフェリーニやヒッチコックの棚があって、主な作品がずらっと並んでいたものです。
深夜TVは、名画座のようでした。
ストリーミング時代になって、むかしよりよくなっているのは、音楽くらい。Spotifyがあるから、ほんとになんでも聴けますね。...まぁ、それも、パソコンを持っていれば、の話ですが(笑)
しかし、イタリア人のフェリーニが、サッカーを見たことがない人かどうかは、一度も考えてみたことがありませんでした(笑)