サイゼリヤと推し活、ファーストフードとウォークマン。

推し活、ネット時代の「プログラム化」された恋愛。サイゼリヤからあの日のウォークマンまで、一気に書いてみましたが、面白いかは不明(笑)でも、意外と「街の情景」の流れかも;)
平中悠一 2025.01.13
読者限定

日本に帰ってみると「サイゼリヤ」という看板があちこちにあり、最初、小林亜星の会社がなんでこんなに伸しているのか、と訝しんだが(笑)そうではなく、ファミレスだった。

昨年まだそのサイゼリヤにいったことがないという友人と行ってみたところ、←その酒飲みは、ハウスワイン赤を飲むなり「これはアルコール度数がちょい低いな」と看破(笑)どうりでぐっと飲みやすく、デキャンタ大くらい気づくと普通にひとりで飲んでしまうが、飲み過ぎかも。最近米メディアではアルコールは百害あって一利なし、との報道が特に多く、この分では長生きできないかもしれない。が、サイゼリヤは、もうちょっと酒のアテ、じゃなかった、アンティパスト(?)を充実させて欲しい...。

そういうわけで、今度はまた別の友人(自営業)と午後3時頃から行った時は、こっちが飲んでる隣で小学生の女の子が二人で、最初はしばらくノートを開いて宿題をやって、その後お菓子(ドルチェ?)を食べて、ジュースを飲み、その後は二人でそれぞれゲームをやって、計2時間あまり滞在していた。

5時を過ぎると高校生もたくさん入ってくる。僕が高校の頃は、学校のあと、みんなでファーストフード店に行ったりしたが、こういう店があったらきっと来ていただろうな、と思う。そういう子どもたちの出入りを横目に、まぁ、要は基本飲んでいるわけだが(笑)一人で来る20代・30代らしい人もわりに目につく。

大柄な人の場合もあるが、社会人と思しきごくごく普通サイズの女性などでも、サラダを食べ、パスタを食べ、チキンを食べ、デザートも食べ、という、コース並みの食事をどんどん平らげているのが目を引く。ちょっと西洋人みたいな食べ方で、これぞデフレの恩恵というか、黒田バズーカが放たれるまでは、みんなおそらくこんなふうに、お金をかけずにそれぞれ楽しく生きていたんだろうな、と思わせる。それがトップの2、3割がより儲かる、ということで、アベノミクスが始まった。サイゼリヤは、残り7、8割方の人にとって、デフレが残した最後の幸福なシェルターのひとつ、かもしれない。

さらに見ていると、そんなふうに次々と料理(ピアット?)を頼み、ひとりもくもくと食べながら、スマートフォンの画面を一心不乱に見ている人もいる。

携帯のデコレーションから推し量るに、見ているのは多分、何かKpopの動画だろう。

2005年の渡仏以来、Kpopを聴くのは止めていたが(韓国人の友だちができ、今はむしろフランス語を勉強しなくちゃでしょう!と韓国語で諭されたりもしていたので;)2022年末頃NewJeansに気がついて、ともかくこの子たちだけは再び聴き始めたおかげで判るのだが(笑)つまり、「推し活」なのだろう。

誰にも邪魔されることなく、仕事も、日常も忘れ、値段を気にせず食べたいものをどんどん食べながら、自分の大好きなタレントの動画にただただ没頭する。なんという充実!なんというクォリティ・タイム!そんなふうに、至福のひと時を恍惚として過ごしている。誰がどう思おうと、関係ない。そんな気持ちが伝わってくる。

食物とは、また、愛にいちばん似た物質、との説(言説?)もある(笑)

NewJeansは、更迭された自分たちのプロデューサーを慕って所属事務所・親会社との闘争の道を選んだが、それまでは、その親会社の配信システムを使っていた。アプリをインストールしたファンに、プッシュ式に通知されるこのリアルタイム配信は、appleでいえばfacetime、要はヴィデオ・チャットの通話を模している。

つまり、自分の好きなアイドル・タレントから、ヴィデオ電話がかかってくる、という趣向になっていて、ファンからもテクスト・チャットで質問を送ることができ、目についた範囲でリアル・タイムでそれに返事もしてもらえる。

一体、アイドル・タレントに、ファンはどんなテクストを送るだろう。今日も可愛いね、とか、その髪型似合ってるね、そのネイルきれいだね。昨日の放送見たよ!次のライヴ行くよ!今日は何を食べた?明日は何をするの? そして、ありがとう、そこに“あなた”でいてくれて。

誰が書いても結局はこのヴァリアション、どのファンが、誰が書いた質問に答えてくれても、それは本質的に、自分に対するパーソナルなメッセージになる。

このアプリは、そんなふうに、ファンだけでなく、また、アイドル・タレントたち自身のメンタル・ヘルスにも大きく貢献するだろう。

どんなハリウッドの大スターだって、目の前で何万人という人々が、自分(たち)の持ち歌を自然に声を揃え、ひとつになって歌ってくれる、この全能感、この多幸感を経験することはない。

だからこそ、その“神”のような自分と、ステージを降りたより平凡な日常の自分自身とのギャップに苦しみ、ミュージシャンはドラッグに手を出すのだ、と説明していたのは、確かビリー・ジョエルだったような気がするが、もはや定かではない(笑)

この配信アプリは、そのギャップを、おそらく埋めてくれるものだろう。ライヴやTV出演があった後、それこそグループのメンバーみんなが、順番にこのアプリを介し、今日はほんとにありがとう、という配信を行ってくる。それを全世界の何万人というファンがリアルタイムで見ている。嬉しいのは、ファンだけではないはずだ。

問題の親会社は「悪の帝国」なのかもしれない(笑)そもそもインターネットとスマートフォンがあればこそ、そんな仕組みも可能になった。しかし、親会社提供のこのアプリが利用できたことは、タレントたち本人にとっても、きっと素晴らしいことだった。

ライヴ後などの高揚した時だけでなく、折りにふれ、ファンとのコンタクトとしてやはり配信はかかってきたが、そこで何が話されるかといえば、本当にとりとめもない、晩ごはんに何食べたとか、こんなものを買った、これ可愛くない?とか、どうも今日は髪型が決まらないとか、どれも些細な話ばかり。でもファンなら、それを楽しく聴くことができる。

それこそ、ただギターの練習をしているあいだ、2時間くらいそのまま配信していたこともあったが(笑)そんなの聞いていられるのは、ふつうは親か、恋人くらいだろう。

つまり、そうなのだ。そこで話されることは、まさに恋人が話してくれるようなこと。自分の恋人の話だから聞きたい、とるに足らない、小さなこと。

実際に恋人がリアルにいて電話で話したとしても、話していることは、結局そういうことになるだろう。

もしいま僕が高校生だったら、これだけで生きていけたかもなぁ、と想像する。あ、今日もハニから“電話”がかかってきた。ハニ、こんなこといってたなぁ。あんなこといってたけど、大丈夫かなぁ。でも今日もやっぱり、可愛かったなぁ。。(笑)

アイドル・タレントなんだから、基本的に彼女たちは嫌なことはいわない。しかも、見た目は文句なしに可愛いし、話し方も、キャラクターも抜群にチャーミング。

実際に、リアルに女の子と付き合えば、それはもちろん会って、手をつないで、抱きしめ、キスもして、いろいろリアルならではのことがある。でも、その分、大変なこともある。“フル・ヴァージョン”の人対人の関係なのだから。それを引き受ける力がなければ、人と現実に付き合うことはできない。

要するに、「推し活」とは何なのか、といえば、スマートフォン経済にサブスクリプションすることで供与される、大衆化された、はるかに楽にたのしめる、「誰にでもできる恋」なのだ、と思う。

このあとは──

・80年代と「プログラム化された恋愛」

・スマホと文化の収益構造

・ウォークマン時代の街の記憶と比較

・現代の「自由」とは何か

…など、少し深い考察へと続いていきます。

この記事は無料で続きを読めます

続きは、3776文字あります。

すでに登録された方はこちら

読者限定
Popularitéとvisibilité
サポートメンバー限定
80年目の夏に。〜世界を照らせ、理性の光
サポートメンバー限定
7月の終わりの近況報告。
読者限定
え、こんなの教えていいの?——東大で習った論文の書き方(その1)
読者限定
6月の終わりに。〈聞こえない声〉と生成AIの見えづらい関係
読者限定
鍵付きソシャメについて
読者限定
小論文「「川へはいつちやいけない」のは誰か?」〜谷崎とメルロ=ポンティ...
読者限定
「本音」なんてものがあると考える自体、もはや前世紀的(でなかったら、言...