「男性のどこをセクシーと感じますか?」
アメリカ英語の白と黒。Rain時代の家飲み。女子校の場合。年をとって判ったこと。
平中悠一
2024.11.02
読者限定
『「細雪」の詩学』のあとがきにも書いたけど、僕はいわゆる「三人称」というのが日本語ではどうもしっくりこず、だから自分でもどう書いていいか判らなかった。日本語で書かれた「三人称」の小説文は、どうも「三人称ごっこ」というか、疑似三人称のように見えてしまう。逆に、そういう引っかかりがあったから、ああいう博士論文を書いたということもできる(笑)
それに比べ、一人称は判りやすく、語り手の視点から見えているように語る、という大原則、シンプルなルールがある。つまり一人称では、語り手以外の内面(思考や心理、内声)を書く必要はない。例えば語り手が男性であれば、女性の心理を書く必要はないし、書くとすれば、それは想像のかたちにしかならない。
要は、語り手に判らないことは、判らないと書けばいい。そこからフィクショナルなリアリティ、バルトのいう現実効果 l'effet de réel が生まれてくる。